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by nash5g31.

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インナー倭人伝

古代史ネタ第2回です。

先日、大阪で「三角縁神獣鏡」が出土したそうな。この鏡を『卑弥呼の鏡』、と決め付けるのはいかがなものか…?

(現在、NHKにてドラマもやっちょりますが…)考古学から古代史を語るのは大変危険です。日本全国津々浦々掘って掘って掘りまくって、総合的に判断するならいざしらず、限定的に出てきたから、そこであーだこーだ論議しても憶測話の域を出るのは困難だ。

古代史を学ぶならやはり文章で!「日本書紀」「古事記」そして「魏志倭人伝」。

「魏志倭人伝」は三国志の曹操が礎となった魏の国の歴史書「魏志」の中の「倭人」の国の紹介文である。原文は他の国と比べてかなり長いです。それに特筆すべきはこの当時の中国(現在もそうかもしれませんが…)は中国以外の国は夷蛮の国として呼び名は卑下していました。邪馬一国、奴国とかもそうですし、名前の卑弥呼にしても同じです。けれども「倭人」というのは「倭」に人偏がついているし、「人」とも書き表しています。

↑のは当時の政治状況から「人」扱いされているだけなのか?それとも倭人の国は中国にとって特別の存在なのか?

倭人伝が長いのには昔に比べて詳しい事がわかったからなんですが、実に多岐にわたっています。女王国(邪馬一国)だけじゃないんです。黒歯国、裸国、朱儒国、という倭種(倭人)以外の国も紹介されています。朱儒国は(女王国から)比較的近い位置(4千里)にあるのですが、黒歯国、裸国は船で1年の航海しての場所なんです。1年という概念が現在と同じかどうかはわかりませんが、これは日本以外の可能性が大です。

「邪馬一国」探しで『水行十日陸行一月』の十日はともかく、一月は必ずしも30日ではないかもしれません。

古代史で混乱するのは年月の数え方や尺度の基準が現代と異なっている場合があることです。私も未だにどれが真実なのかが分かりかねる事があります。月の満ち欠け(月齢)で暦を換算している場合を基本にするのが一番妥当なのかも…。

話は打って変わって、邪馬一国の場所なんですが、「倭人伝」から抜粋、要約すると帯方郡という中国の東アジア窓口の場所から7000余里で狗邪韓国。そこから1000余里で対馬国。さらに1000余里で一大国。さらにさらに1000余里で末ら国。そこから東南陸行500里で伊都国。さらに東南100里で奴国。東に100里行って不彌国。南へ水行20日で投馬国。その南、邪馬一国は水行10日、陸行一月(その南に狗奴国)。帯方郡から女王国までは12000里、と後ろの方の文で明記されています。

里程を現在の尺度で計算すると1里は約4000メートルなんで、12000里となると約48000キロ。なのでこれは当然ありえない。
では漢代の長里で計算すると1里は435メートルだから、さきほどの約10分の1となる。それでも約5000キロなんで女王国は太平洋の島に存在してしまう。
なら周代(漢よりさらに昔の時代)の短里ではどうだろう?別の文で『韓地方4000里』を参考に計算しても合致するので信憑性の高い、1里約77メートルだと長里の約6分の1となるので12000里は約900キロ。けれどもこれを鵜呑みにすることはできない。狗邪韓国から末ら国までは海の上です。

なので、上陸後の里数で計算すると50キロ余りで女王国の手前の国まで来ることになります。里数から突然日数表示なのは中国からの使者が実際その国に足を踏み入れていない、という説を信じたい。故に不彌国から舟で20日で投馬国、舟で10日、歩き1ヶ月で邪馬一国。

畿内説を主張する人は「南」は「東」の間違いだの、「一」は「台」の間違いだの、と血迷った事をおっしゃる。原文みたら一目瞭然です。

古代の世界、って時代の文化が混ざり合ってるんですね。単純に言えば縄文文化と弥生文化。現代とリンクするだろう例をあげるなら、「日本における血液型の分布」「各地の雑煮の違い」「あほバカ分布図」とかでしょうか?
着物のこと「呉服」、って言いますよね。私は古代史に興味持った頃から気になっている名詞です。三国志時代の「呉」の国伝来の服、だと解釈されるだけの些細な事かもしれません。でも「和服」とも言いますよね。ここに文化の違い、というか融合なのかはわかりませんし、二分するのもどうかわかりませんが、古代の世界が集約されているのかもしれません。

最後にもっと踏み込んだ見解をしめすと、古代から倭人は朝鮮半島に進出して任那という国もあったし、百済、新羅も倭人系の国かもしれない。だから古代の朝鮮半島に住み暮らす人々は倭人と同じ言語だったろう。
ハングル語というのがどういう経緯で生まれたのかよくは知らないが、この言語は自然発生的なものではなく、作られた言語のはずだ。では何故作られたのか?朝鮮半島で独立国家が誕生したからだろう。そんなハングル語が現代の日本語と近似値が高い単語もある。
日本、韓国、北朝鮮の祖先は意外に同じだったりする、というのが古代史かじっている私の見解です。

だから、先日来日したペ・ヨンジュン氏(ハングル的に言うなら「ヨンジュンッシィ」)が日本語で挨拶しても全然驚きません(ドラマ「初恋」でもヨン様は日本語を口にしていたが、それから比べると正しい日本語を話してたかな)。

「呉服」の件の補足(?)をすると「呉」の孫堅文台は碧眼の武将との説明があったはず(吉川三国志に…)。なんかの本には『卑弥呼はギリシヤ人だ』、と主張してたのもまんざら嘘ではないかもしれない。
「魏」と手を結んだ邪馬一国とは敵対していた狗奴国は「呉」と交流があったことが証明されるし、「呉服」のコトバが現代でも残っているのは「邪馬一国」衰退以後の倭国勢力図のヒントになるかも。
古代九州は北は朝鮮半島、西は中国(呉)、南は琉球(果ては東南アジア)、東は東是人(厳密には「是」ではなく「魚」へんに「是」。読みは『とうていじん』)、と国際色豊かな土地柄だったに違いない。で、中心に倭人がいた…。

かなり、ディープになっちゃいましたね。
by nash5g31. | 2005-09-02 19:30 | ヒストリー